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DVサバイバーとしての わたし と 音楽

このブログでは、ちょっとしたカミングアウトです。

私は、DVサバイバーです。

今は、そう言っても珍しくない時代になりました。
それがいいのか、悪いのか?

でも確かにDVという言葉、モラルハラスメントという言葉も
昔よりもずっと広まりつつあります。 

今日は、そんな私のDV&フェミ観(フェミニズム観)などを語りたいと思います。

このブログでは、あまりそれには触れないでおこうと思っていたのですが、音楽を続けるにあたって、やはりその体験抜きでは語れない、いつかは私の体験を音楽とともに話す日が来るだろうという予感があるのです。

私は、今、娘と二人で住んでいます。

夫と別居したのは、1998年の年末。国家資格を取得したのを機に、独立開業したのが別居の理由です。

DVという概念もまだ今ほど広まっていなくて、DVとは知らずの別居でした。でも、結婚当時から確かにDVはありました。会社員時代と違って、夫が独立してずっと一緒に家にいるのは、私は耐えられない(私も仕事はしていましたが、家にいる時間は圧倒的に私のほうが多かったので)こと、それから、やはり仕事部屋が一部屋はいるだろうと言うことで、事務所を借りるという名目で、家から3分ほどの場所で夫がワンルームマンションを借りたのが、きっかけです。

でも、私は前から彼の度重なる言葉の暴力や、暴力的な態度にまいっていて、別居できたらどんなにいいかと思ってました。

今なら、あれはモラハラ(モラルハラスメント)だったと、はっきり理解できます。

ただ、DV法も成立していなかったあの当時、モラハラという言葉も当然ありませんでした。夫の態度が「精神的暴力」だと知ったのは、別居した年、私が始めていたミニコミ新聞記者の仕事で、女性グループが開いていた「DV学習会」へ取材の為、参加した時でした。

それから私はDV関係の本を読みあさりました。そして初めて身体的暴力以外の「暴力」、精神的、経済的、社会的、性的暴力などがあることを知るのです。

身体的暴力も過去にはあったのです。でも、それが骨が折れるほどのものではない、脅かしの範囲を出ないものでした。だから、DVだと分からなかったのです。ただ、それまでに読んだDV関係の本で、DVのサイクル(緊張期→爆発期→ハネムーン期)に、ほぼ当てはまっているなあと感じていたことは確かでした。こういう直感は正しいものだと思います。

独立開業を決めた1998年、私は夫婦関係の危機を感じて「このままではいけないと思う。だからカウンセリングへ行こう」と、カップルカウンセリングへ行くことを提案しました。

DV関係でカップルカウンセリングは良くない、ということは後で知ったことですが、この時は、DVだとも知らなかった、ただ二人の関係を良くするために、二人でカウンセリングを受けることは有効なのではないか、と思っていました。

好運にも、以前から「女性問題」に関心を持ち、ボランティアで活動をしていた私の友人が情報をたくさん持っていたので、カップルカウンセリングがあるカウンセリングルームを教えてくれました。

その後、やはりカップルでは限界があること、夫が両親の離婚というトラウマを抱えていること、などから、彼だけがそこで継続、私は、その友人が立ち上げたフェミニストカウンセリングルームへ1人で通うことにしました。それが1999年初めのことです。

私は1年ほどそのカウンセリングルームへ通い、DV関係だったと自覚し、別居していることで物理的に距離も取れることから、いったんカウンセリングを終了しました。夫は、そのままの場所で(今も1月~2ヶ月に1回程度)カウンセリングを継続しています。

ところが、いったん私のカウンセリングを終了した直後、私は自分への自信も少し回復し、夫への経済的な話し合いを始めた途端、夫の言葉の暴力が激しくなったのです。

別れを切り出す時や、経済的なことを話し合う時が、DVでは一番危ないとされています。経済的な話し合いは、夫婦の権利としても当然の話し合いであったにもかかわらず、DV加害者にとっても一番、イヤな話なんでしょう。「おまえは、金だけが目的か」などど言ってきました。

そして、もちろん離婚も考えました。しかし、離婚を選ぶことは自営業を始めた私たち夫婦にとっては、彼に有利、私に不利なことばかり。

共有財産のマンションは、売れば足が出るくらいローンが残っていた、自営業を始める資金として国民金融公庫から借りた借金のほうが、財産よりも大きく、無料弁護士相談に行っても、「借金があれば不利」「取れても、養育費として月3万~4万」という答えばかり。

私の給料は家賃を払えば残らない額だった為、それではやっていけないことは明らかでした。その為、やはり別居生活を続け、自営業の売り上げから生活費として入れてもらう、それが一番の方法でした。

そんな話し合いをしたのが2000年。私は自分のカウンセリングを再開しました。それからカウンセリングは6年ほど続きました。弁護士相談や福祉相談に行き始めたのが、2001年冬のこと。カウンセラーさんから「PTSDの中の再体験の症状がでているかもね」と、PTSDで実際に質問される項目テストをやってみて、そう言われました。

たぶん、かなりのフラッシュバックに悩まされていたと思います。そんな中で仕事を続けていたけれど、身体が思うように動かなくなり始めたのが、2002年春のこと。めまいや倦怠感に襲われ、その夏には仕事を続けられなくなりました。

家事をするのも、ひどくおっくうで、特に食事作りは今もできません。もうすっかりトラウマになってるのです。

半年の間に5キロも痩せてしまったのが、あの頃でした。そして今までは、仕事をいろんな形で続けてきたけれど、身体を壊しては働けない、それから音楽との二足のわらじも、もうできない、と音楽に専念することに決めました。

でも、音楽だけで食べていくのは至難の業です。大人になってからピアノを始めた私には、生徒に教えるということもできず、演奏するのが好きな私は、その頃から「女性問題」と音楽を結びつけて仕事を創っていきたいと思うようになりました。

その経済的基盤として、やはり夫の資格を生かして始めた自営業が軌道にのることが前提でした。それには離婚はできない、夫にとっては、紙切れ一枚が重要な絆なんだそうです。その絆が切れてしまえば再婚相手を探すだろう、そうすれば私と娘への生活費の支払いも滞っていただろう、と今も言っています。

夫が変わることーそれは、もう一種の賭けでした。誰にも分からない賭け。それでも当時のカウンセラーさんは、「バクチではなかったでしょう?」「彼を信じていたの?」と言いました。私は少し考えて

「信じていたのは、自分」と答えました。

私は自分を信じていたのだと思ったのです。彼が変わることも、自営業がうまくいくことも。音楽の夢をかなえることも。

一番辛かった頃、支えになってくれたのは、音楽でした。ー離婚すれば、子どもを育てる生活に追われて音楽レッスンに通うことさえ出来なくなる、練習なんてもちろんのことー 「音楽をやめたくない」「音楽でいつか収入を得るようになりたい」

体調が悪くてピアノの練習が出来ない時も、いつか前のようにまた弾ける、その日がくる、元気になる日がくる、そう信じていました。

その当時、私が何よりもほしかった支援は、シェルターでもなく、保護命令でもなく、「加害者更生システム」でした。これには今も賛否両論あるでしょう。いいかげんな加害者更生は危険、それならないほうがいい、という意見が多いこともわかります。

それでも100人DV被害者がいたら、同じ数だけの加害者がいるのです。逃げても、加害者のほうは変わらず、新しい被害者を作り出すでしょう。確実な信頼できる、被害者の立場に立った更生システムがあったら、今でも夫に勧めたい、私はそう思います。

DV法の中にこれを盛り込むことは課題になっているはずです。人間の英知をかけて、ぜひ実現してほしい。なぜ被害者が家を出なければいけないのか、なぜ被害者だけが今まで、積み上げてきたものを捨てなければいけないのか、理不尽でしかたないです。

現状では「家を出る」支援に頼らざるをえない現在ですが、ありとあらゆる専門家を結集して創りあげてほしいと私は思っています。

変わるのか変わらないのか、出ない答えに悩まされ続けていた私は、被害者同士の自助グループへ行っても、自分だけが違うような気がして、孤独感にさいなまれました。経済的にも苦しくて、身体もしんどくて、一時は音楽レッスンとカウンセリングだけ、音楽の師匠とカウンセラーと娘だけが話し相手だった時期もありました。その上、娘が中学で不登校になり、完全に心を閉ざしていた時期もありました。

そんな事態が好転し始めたのが5年前くらいだったと思います。私の入院をきっかけに、夫は暴言を吐くことがグンと減りました。それまでは危険を感じて車に一緒に乗ることもしなかった私が、心を許せるようになったのもその頃です。それと同時に、経済的にも安定するようになりました。

夫はカウンセリングを通して自分の過去と向き合ってきたのです。それから、私がそれまでよく通っていた男女共同参画センターに夫が通い始めました。夫がフェミニズムに興味を持ったのも、この頃です。そうして、一緒に男女共同参画のNPOを立ち上げることになったのです。

そのNPOは、今は母体を「まちづくりアライアンス」という名前のNPOに移し、私のミニコンサートの主催者になってくれています。念願だった男女共同参画をテーマにしたトーク&ライブも今年1月で2回目を迎えました。秋には、また新企画で開く予定です。

10年来の夢が叶い、今は夫とも程よい距離を保て、娘との穏やかな生活を送っています。

夫が心の底からDVを反省し、本当に変わったのかどうかはまだ分かりません。しかし、少なくとも10年前よりも変わっているのは確かです。それは夫が別居という大波を乗り越え、ジェンダーとは何かを真剣に自分に問い、ジェンダーセンシティブな視点でキャリアカウンセリングを行ったりしている成果でもあるでしょう。また、まれに、前のような行動パターンに戻った時には、今の私には聞いてもらえる人も出来たし、一時的に迷っても、すぐに確信することができます。

今、イメージできるのは、明るい未来です。

あの時、激減した体重もすっかりベスト体重に戻りました。「女性問題」と音楽を繋げての仕事づくりは、これからもやっていきたいと思ってます。できれば、いつかDV被害者の人と一緒に音楽を楽しむ時間を持ちたい、私の拙い演奏で、もし癒しの時間を作れるのであれば、ぜひ協力させてもらいたい、と思っています。

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コメント

「信じていたのは、自分」がガツンときました。
言葉にならないほど・・・。

こうした自分自身への信頼ってすごく大きなものですよね。
もしも、予想とは違う結果に出会ったとしても、この信頼感があればその時なりの自分を受け入れていけそうな気がします。

この場で「フェミニズム」の言葉を出されたyuppiさんの気持ちもしみじみと伝わってきました。

「加害者更生システム」についてはホントに難しいですよね。
これはやはり構造的に加害者になりがちな男性が自分達の問題として向き合う必要があると思います。
残念ながら、社会全体が逆の方向に進んでいるように見えています。
非正規雇用の人を軽んじたり、権力のある人の意見だけを重視したり、そうしたことが無自覚に「当たり前」になっている状況にこの問題の根深さを感じます。

yuppiさんの「明るい未来」の光を私も感じています。
きっとこれから何度もその光を見る機会があると、心から信じられます。

かのんさん、ありがとうsign01

この前も、いろいろ聞いてもらったけれど、
DVのことをブログで書いてみたくなりました。

いつか、サバイバーとしてサバイバーの人たちに向けて演奏したい
気持ちがあるのですね。

>もしも、予想とは違う結果に出会ったとしても、この信頼感があればその時なりの自分を受け入れていけそうな気がします。

あ~そうですね。
なぜか、あのカウンセリングの時の
あの場面で、「自分」という言葉が自然に
出てきたんです。
たぶん、夫をひたすら信じて待つ、なんていうタイプではなかったし、
夫を信じる、というよりは、自分を信じていたんだろうというのが正直な気持ちだったんです。

>非正規雇用の人を軽んじたり、権力のある人の意見だけを重視したり、そうしたことが無自覚に「当たり前」になっている状況にこの問題の根深さを感じます。

うーん、問題は根深いですね。
やっぱり更生は、DVをしてしまう人達が
自分たちの問題として真摯に向き合ってほしいですね。
そして、そこに専門家のアドバイスも必要だと思うんです。

「明るい未来」と言えるのは、闇があったからです。
あんなにしんどい時期は、もうないだろう、
っていう(笑)
あの頃のしんどさを想えば、乗り越えられない壁はないんじゃないか、
と思ううくらい。

闇の中でも学ぶことは多かったし、
あの時があったから今があると思えるようになりました。

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